喪女のだらだら駄らいふ

漫画もゲームもそこそこのライトオタク喪女がとりあえず脱喪を掲げつつ考えや行動を残しています。

この度うつ病になりました

どうも、だら子です。

タイトル通りですがこの度正式に「うつ状態」と診断を受けました。

てっきり適応障害だろうと思って心療内科にかかったらまさかのうつ。

私が一番驚いてショックを受けている今です。

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今回は気持ちの整理のためにうつ診断に至るまでを振り返ってみようと思います。

(愚痴と捉えられる事も含まれています)

仕事環境とうつ病になるきっかけ

さて、転職前は健康だった私。ともなれば原因は転職先です。

転職先は私の憧れの業界でした。(過去の記事を読んで頂ければ幸いです)その中でも比較的残業の少ない月約45時間。45時間という残業は決して「残業でうつになりました」と言える時間帯ではなく、比較的世間ではありがちな時間です。職場の人間関係も悪くなく、セクハラ、パワハラ等とは無縁でした。

 

なのに何故うつになったのか、と考えてみるといくつか理由が思い浮かびます。

 

①仕事ができなかった

事前に仕事内容は当然聞いていましたが、蓋を開けてみればこの仕事はとても複雑でした。やっている事は単純なのに、とにかくルールが多くて(矛盾しているようですが上手に説明ができない…)ルールを中々覚えられませんでした。

マニュアルをもらったものの、本当に基礎的な事しか書いておらず。分からない事があれば先輩が教えてくれるのですが、その先輩も上手に説明ができない人で私も察しが悪く理解が進みませんでした。そのため「ここ間違ってる」「この時はこっちのルール」と毎日注意をいただく事に。ミスをする→注意をされる→次は間違わないように気を付ける→仕事がゆっくりになる→それでも間違えるのループ。当然自己嫌悪が物凄かったです。

 

また、私の1か月前に入った同年代の子も同じように憶えられないようでした。職場では本人がいるにも関わらず「なんでできないんだろうね?」と言った”純粋な疑問”が囁かれていました。それを聞いていた私は「覚えられないとあぁ言う風に言われるんだ」とすごく恐かったです。(その子はすぐに退職してしまいました…)

 

その後私も同じ運命をたどっています。聞こえていないとでも思っているのでしょう。入社1か月ほどの時は「入社したばかりだし」「これから頑張る」とポジティブに捉えていましたが、憶えた今でも時々言われる「間違ってる」「ここも違う」という言葉に身体が震えるようになりました。

 

②周囲に相談できる人がいなかった

仕事で分からない事があれば質問をすれば教えてもらえるし、むしろ分からなかったら聞いて!というスタンスだった上司ですが①の事もあってすっかり「ここが分からないです」と聞くのが苦手になってしまいました。また私も上司もお喋りなタイプではないので、仕事以外の事は全く話さず。周囲の先輩方も年がかなり離れて、席が近い訳でもないので特に話す事がなく。正直入社してからほぼ距離感は変わっていませんでした。

そのため仕事ができなくて悩んでいる、なんて相談は私にはできませんでした。

もちろん家族にも友人にも「自分が仕事ができない」なんて事は言えませんでした。私自身愚痴を言うという事自体好きではなかったからです。今思えば愚痴と相談は全く違うのですが。

 

その他にも毎日仕事の締め切りに追われて精神がすり減って行ったり、帰りが終電になったり、小さな理由は色々あります。が、まとめてみれば単純な話で「自分には合わない仕事に無理やりかじりついていた」結果、自滅しただけなのです。

 

これらがずっと続いてある日の朝。突然涙が止まらなくなり、私は初めて社会人として会社を病気で休む事にしました。

 

うつ病になるまで

診断を下されてからふと振り返ってみると、入社してからすぐに自分でも気づかなかったけれど身体からSOSが出ていました。

 

・職場にいると手が震える

・何も言われていないのにずっと緊張していて呼吸もしにくい

・突然涙が出る

・異常な肩こり、全身の硬直、突っ張り

・振り払えない憂鬱

・食欲体重の増加(特に普段全く食べなかったチョコレートが食べたくなった

・本が読めない

・楽しかった事にすら興味がわかない、元気がない…等々

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 この頃からもうきっとうつ病だったのだと思います。そして一番ピークでした。今は比較的落ち着いているため、このような記事が書けるのです。

 

入社したばかりの私は、人見知りですし職場にも仕事にも慣れるまで時間がかかる方だと自覚していました。そのためこれらの症状は全部「仕事に馴染めてないだけ」「仕事ができるようになれば…」と転職したてならありがちな事。私の甘えだと言い聞かせて頑張っていました。

でもふとある時「こんな状況が何か月も続いてるのっておかしいのでは?」と思いました。そして色々検索した結果、適応障害やうつ病の心理テストにピッタリ当てはまったのです。だけど普段からネガティブな私ですので、心理テストに当てはまったから何なのだと心療内科に行くまで足踏みしてしまい、行く勇気もでなかったのです。

 

心療内科に行く

ある朝急に涙が出て止まらなくなり、仕事に行くのは無理だと思った日がありました。お腹が痛い訳でも頭が痛いわけでもなく、ただ「もうダメだ」と思いました。

その日のうちに空いていた少し離れた心療内科の予約を取り、すぐに向う事にしました。移動中も涙がじんわり浮かびます。

 

病院内は小さなクリニックだったので清潔感に溢れていて、普通の病院よりはホッとしましたが、それでも不安なものは不安です。涙目で受付をしてから何枚かのアンケートに答え、すぐに先生と対面。

事前に答えたアンケートは「うつ病かどうか」の簡易アンケートだったようで、アンケートだけ見れば「中程度のうつ病」でした。分かっていたけど結構ショックです。

その後は転職してからの事をずっと話していましたが、話している間にも物凄く泣いてしまいました。「不思議と涙が出る」現象が自分の身に現れてからどうにも涙もろくなってしまってしょうがない。

結局アンケートの事や診察の事もあり、私の診断書には「うつ症状」と書かれる事になりました。(薬は飲みたくなかったので、ひとまず1か月の求職をした方がいい旨を書いて頂き、職場に提出しました)

 

「うつ病」と診断されて、正直未だに信じがたい気持ちです。診断書を職場に提出したせいか、比較的今までと比べて気分が軽く、好きだった事も少しできるようになりました。どこかに行きたいという気持ちもあるし、私って本当にうつ病なんだろうかと。未だに適応障害って言う方がしっくりくるなぁと思います。

むしろうつ病という結果が今後の私の最大の悩み。気分を憂鬱にさせる事実…。

 

これからの事

診断書を提出しましたが、これからどうなるかは私にもまだ分かりません。何せ私は試用期間なので、大した人材ではないからです。休職させる価値もないので、おそらくこのまま退職するのでしょう。(やめるつもりだったので良いのですが)

しかし今度は退職するとなると、お金の問題があります。障害手当や失業保険、心療内科に通うなら自立支援制度とやらも活用した方がいいとやる事が山積みです。ただでさえ貯金が少ないので無視もできず。情報収集しているのですがそれもまた気分が重くなる。どうやったって不安になります。

また、心療内科・精神科にかかると今後の生命保険やローン等に影響が出ます。私は本当に何の備えもしていなかったので、今後それも悩みの種として抱えていかなくてはいけません。(限界が来て行ってしまいましたが、余裕がある人はこうならないように備えておいた方がいいと思います)一度うつ病になると、健康だった人の人生には戻れないのかと絶望しています。

 

今後少しだけ休んだ後。その先、本当にどうしていこうかなと思う毎日です。

ひとまず正社員はもう無理かなぁ。


P.S晴れて無職になりました。