仕事を図るモノサシ
どうも、だら子です。
春になりましたね。
桜も咲いて、毎朝駅のホームではパリパリのスーツを着た若い人たちを見かけるようになりました。
きっと今年の新入社員でしょう。
顔はスッキリとしていて、なんだかさわやかな感じ。
なんかいいなぁああいうの。
方や私は着古したコートとブーツにちょっとボロめの鞄。
電車の中ではドナドナの気分です。
ドナド~ナ~。
今日は自分のいる会社を考えてみた時の話。
かなり愚痴っぽいので注意。
無意識って怖い
春になって、一年働いて失業保険を得る権利をゲットした私。
散々やめたいやめたい詐欺みたいになってたけど本腰入れて活動するかと求人サイトに登録して気になるのをブックマークしています。
そこで自分の会社についてふと考えてみると「あれ?結構自分の会社ってまともなんじゃないか?」って思えてしまったのです。(気の迷い)
何故かというとブラックな所に努めて鬱になってしまった人の話を見たり、周囲のブラックトークを聞いていたので、自然とそのブラック体験談と比較していたわけです。
「給料安いしボーナスも退職金もないけど社内ニートだからそれは致し方ない。
犯罪者だ!とか言われるけど毎日ってわけじゃない。
たまの仕事も嫌な仕事ではあるけど、どうにかできている。
納得がいかない事が多いけどそれはきっとどこでもそうだし、
行きたくないしやりたくないけどどうにか身体は元気に働けてる。
本当に追い詰められて退職した人に比べて全然楽じゃん。
私が苦しいと思ってるのはきっと思い込みだ!
これってまだ大丈夫なんじゃないか?
結構まともなんじゃないか?
自分が本当にダメになるまで頑張ってみようかなんて思ってしまう始末。
他人のモノサシで会社を見ると結構まともに思えるマジックです。
(上には上がいるんだからキリがないのですが)
だから自分は恵まれてるかも!なんて思いこんでしまう。
ここにいればこれ以上悪くなる事はそうそうないし、現状維持が幸せだと心のどこかで自分もそう思っているんじゃないだろうか。
…と考えたけど「これって自分の考えとは違うじゃないか!」と自分で気づけたから良かったのかもしれません。
自分のモノサシが大事
他人のモノサシで考えたら、きっとこのブラック企業はブラックじゃなくなるかもしれません。
人によってはホワイトかもしれないしグレーかもしれない。
けど私にとってはやっぱりブラックだし、自分のモノサシの方が大切だって自問自答の末たどり着きました。
だって私の苦しみは私にしか分からないし、なんで世間にあれこれ言われなきゃならんのだ!(言われてないけど!)
私がやるのに私が納得できない事をなんで続けなきゃいけないんだ!
というか嫌な事っていうのはその先に良い事があるって分かってる時のみに頑張るべきだ。
なんの楽しみもなく、目的もなく頑張れるか?頑張れないよ!
嫌なことしか続かないのに頑張る理由ってなんだ?
ないよそんなもの!
続けてたらなんかいい事あるかもってそんな推測でやってられっか!
時間だけ無駄に過ぎて「なんの成果も得られませんでした!!!!」ってなるのが目に見えてるよ!
あーもう嫌だなぁ。
仕事なんていくらだってあるのに嫌な事を続ける意味はあるのだろうか。
たしかに転職したら今より環境が悪くなるかもしれないけど、社内ニートの今の私は人生において停滞状態。
停滞は後々の事を考えると落ち込んでいる時よりも達が悪いです。
だから自分で打開しなければいけない。
こうして文章にする事で自分を鼓舞していかないとずーっとだらだら悩んでまた1年たってしまいそうだ。それだけはなんとしても拒否しなければ。
今年の私は無理にポジティブに!とは言わないけど、勇気を持った行動ができるようになりたい。
やさぐれだら子でした。
おわり。